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Vol.4 鼻でわかる! 脳からのSOS

ある特定の匂いが関連する記憶を呼び覚ますというプルースト効果。嗅覚は、情動の中枢で記憶や自律神経系に関与する大脳辺縁系に直接作用し、このような情緒的効果を生み出します。一方、神経変性疾患患者では早期から嗅覚経路が障害され、アルツハイマー型認知症の前段階とされる軽度認知機能障害(MCI)患者の多くで嗅覚低下を有することが明らかになっています1)。国内外の外来患者調査によると、嗅覚障害の最大の原因は鼻副鼻腔炎であり、近年では好酸球性副鼻腔炎が増加していますが、超高齢社会が到来し、鼻副鼻腔の異常所見や感冒・外傷の既往のない場合、先述した神経変性疾患などによる中枢性嗅覚障害との鑑別も重要になります2)。今回は、嗅覚と記憶、認知症との関係についてご紹介したいと思います。

軽度認知障害に先行して嗅覚低下が起こる

鼻粘膜上の嗅細胞に入力された匂い情報は、嗅神経から篩骨の篩板を通り、頭蓋内の嗅球を経て前嗅核、梨状皮質、嗅内野などの嗅覚2次中枢に達し、さらに大脳辺縁系(扁桃体や海馬、眼窩前頭野など)に投射します。大脳辺縁系は情動、食欲・性欲という生存に直結する本能的欲望の中枢で、その変化は視床下部に伝達され、自律神経系、内分泌系、免疫系に影響します。
アルツハイマー病(AD)では神経原線維変化 (neurofibrillary tangle:NFT)等の病理所見が嗅内野など嗅覚伝導路に病初期から出現し、嗅覚低下を引き起こします。Wilsonらは、米国の地域在住高齢者で認知機能障害のない589人を追跡し、嗅覚低下とその後5年間のMCI発症を調査しました。その結果、5年後までの嗅覚低下群のMCIリスクは嗅覚維持群よりも50%増加していました3)。Wilsonらは「嗅覚低下はADの初期兆候であり、簡易嗅覚検査は認知症の早期発見に役立つ可能性がある」と結論付けています。
また、健忘型軽度認知機能障害(aMCI)患者および早期のAD患者を対象とした検討では、匂いを認識する能力が低い患者において、海馬の容積が有意に小さいことも明らかになっています(図1)。

鼻閉長期化で嗅粘膜性嗅覚障害の合併も

嗅覚障害を病態別に分類すると、匂いの受容と伝導に異常を来す量的障害(嗅覚低下または嗅覚脱失)が多く、部位別に①気導性嗅覚障害②嗅神経性嗅覚障害③中枢性嗅覚障害――の3つに分類されます。気導性嗅覚障害は、アレルギー性鼻炎や慢性副鼻腔炎などにより鼻粘膜上の嗅細胞の受容体まで匂い分子が到達しないことが原因で、通年性アレルギー性鼻炎の4割を超える患者において嗅覚低下を認めることが報告されています(図2)。これらは原因疾患を治療し、鼻腔の通気性を確保することで改善します。しかし、罹病が長期化すれば、嗅細胞が変性して嗅粘膜性嗅覚障害を合併する場合があり、治癒しても、嗅細胞の再生および症状改善までには月単位の時間を要します4,5)

嗅覚障害患者は、さまざまな生活上の困難に直面することも大きな問題です。嗅覚と味覚は複合して風味を形成しているため、嗅覚低下は味を大きく変化させることから、食事を楽しめず、食欲が低下してしまいます。煙やガスの匂いに気付かず、火事を起こしそうになるといった危険にさらされるため、日常生活のストレスが増大することもあります6)

一方、嗅覚経路が保たれていれば、アロマセラピーなどで香りを利用して、自律神経系の調節や睡眠改善、認知症予防・認知機能改善に役立てることが可能だといいます7,8)。嗅覚のリハビリテーション(強いにおいを反復して嗅ぐ)により嗅球の体積増加や嗅覚の改善も報告されており、中枢の神経活動のネットワークを再構成する可能性も示唆されてきています9,10)。嗅覚入力が低下すれば、大脳辺縁系への情報伝達も低下し、情動、感情のコントロールなどの精神活動を障害する可能性が考えられます。鼻炎・鼻閉は速やかに治療し、中枢神経を介してさまざまな生理効果をもたらす嗅覚経路を良好に保ちたいものです。

参考文献:
1) 勝沼紗矢香, 他: 日鼻誌 2014; 53: 73-74.
2) 志賀英明, 他: Prog Med 2015; 35: 619-622.
3) Wilson RS, et al. Arch Gen Psychiatry 2007; 64: 802-808.
4) 鈴木元彦: JOHNS 2017; 33: 187-190.
5) 三輪高喜, 他: 医学のあゆみ2015; 253: 509-513.
6) Croy I, et al. Chem Senses 2014; 39: 185-194.
7) 今西二郎: 医学のあゆみ2015; 253: 499-502.
8) 木村有希, 他: Dementia Japan 2005; 19: 77-85.
9) 近藤健二: 日耳鼻 2016; 119; 1534-1535.
10) 奥谷文乃: JOHNS 2017; 33: 243-246.
監修:
東京大学大学院医学系研究科 耳鼻咽喉科学教室 准教授 近藤 健二 先生

SAJP.DLE.19.07.1700